西鉄【甘木線】'87.8 古豪200形:引退2年前の貴重映像
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- Опубликовано: 30 сен 2022
- 九州鉄道(西鉄大牟田線の前身)が昭和12年に導入した20形が、後に西鉄200形に改番され、晩年は甘木線専用車両となりました。路面電車のように小さく、丸くて可愛いので、のんびり走る姿をイメージしますが、実は1500V車でスピードもかなり出します。2両,3両, 4両固定で計10編成が活躍しましたが、冷房化されることもなく、平成元年に惜しまれつつ全て引退しました。まさに、昭和を駆け抜けた電車でした。
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参考文献:wikipedia「九州鉄道20形電車」
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懐かしい映像、ありがとうございます
私はこの沿線上に現在も住んでいるのですが、子供の頃を
思い出して胸が熱くなりました。
小さな頃、母と度々町(西鉄久留米駅)へお買い物などに出かけていたのです。
数年前に亡くなった母の事が思い出によみがえります…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
地元の方からの思い出に纏わるお話をお聞きすると、電車や鉄道というものが時代を超えた存在であることに、改めて気付かされます。
初めて乗ったのが1986年でした。今から38年前…。大堰から金島の一区間だけでした。懐かしいです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
懐かしんでいただけたなら当方も嬉しいです。ほぼ同じ時期に乗られていたのですね。
こんなに昔の映像なのに
甘木線の車窓からの景色って今もほとんど変わらないんですよね…すご
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私はこの撮影以来、現地を訪問していないのですが、今でも「のどかな風景」がひろがっているのですね♡。
このめっちゃ頑張って走ってる音がいいよね✨
ご視聴、コメントありがとうございます。
そうですね、加速時に吊り掛け音がまだまだ伸びるところが、精一杯頑張っている感じがしますよね。
私が中学生の頃に引退した車両です。当時は大牟田線の他の車両と比べて圧倒的に古すぎて嫌だったけど、今となっては戦前の車両に乗れてたという事が誇りにすら思えます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
子供の頃は、冷房が無く加速も悪い「旧型車輛」が来るとがっかりし、スマートな「新型車両」の方が好きだったりしますが(私も地元の私鉄でそうでした)、後になってからその「旧型車輛」の価値を知ったり、懐かしく感じたりするものですよね。
200形は600形に置き換えられるまで甘木線の顔でした。基本は甘木~花畑(当時大牟田までの乗り入れは設定されず)まででしたが、大善寺(廃車回送で筑紫~宮の陣)まで乗り入れた時期もありました。行先板は甘木・花畑以外にも大善寺、北野、本郷もありました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
200形はスタイルも良いですし、軽量車体で加減速性能にも優れていたのではないでしょうか。
貴重な映像ありがとうございます。
私が高校、大学の通学の時に使っていました。冷房はなく、夏は暑く、雨なんか降った日は最悪でした。
こうやって見直すと懐かしいですね。しかも戦前の車両。
2000年代まで走ってた記憶があるので長く使われてた車両ですね。
内装も凝ってたことを映像で思い出しました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
通学でいつも乗られていたとは羨ましいですね。でも仰るように雨の蒸し暑い日にギュウ詰めだったりすると地獄でしょうね。晴れてれば窓からの風で気持ちよさそうですが。この電車は丸くて可愛らしい小型車輛ですが、内装は昔ながらのシックな造りでしたね。また3連,4連で車輛間を行き来でき、編成としての魅力もあったと思います。
私は国鉄が「本業」なので、この動画の前年の国鉄甘木線最終日に一緒に乗りました😉
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私は、一応「本業」だった地方私鉄や路面電車だけでも、なかなか周りきれなかったので、国鉄までは手が出せませんでした。
今回も貴重な動画をありがとうございました。私も昔、北野駅まで乗車して折り返したことがありましたが、乗車した際の音などはすっかり忘れていました。記憶が蘇った感じがします。ブレーキハンドルは箱根登山の旧型車と同じような形だったのですね。
江ノ電600形も貫通させて幌を付けたらこんな感じだったのでしょうか。車掌さんの前が見ずらそうな曲面窓から体を乗り出す姿は江ノ電600形と同じですね。楽しませて頂きました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
もし、江ノ電の600形や800形が貫通幌付きだったら、さぞかし楽しかったであろうと思います。ただ、306Fが連接車になる前の連結車(200形)時代の試験において、江ノ電は急カーブが多いため、連結車で行き来できるようにするのは困難との判断がありましたので、叶わぬ話だった訳ですね。
めっちゃ貴重な動画。ありがとうございました
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
この200形は当時の戦前生まれの私鉄車輛の中で、本当に宝石のような存在だった気がします。
ばあちゃんの家が五郎丸駅の裏でした。じいちゃんが入院してた病院が花畑にあったんでお見舞いに行くのに何回もこの子に乗せてもらってました。
とても懐かしい思い出です😢
貴重な映像ありがとうございます😭
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
地元の方にとっては、さぞかし親しみやすい電車だったのでしょうね。
たま〜に、大牟田線に天神ー二日市行きに入ってて、、天神福岡駅(現)の一番端に停車していると(5線時代)、、急行に乗らす二日市まで、これに乗ってました。楽しかったなぁ〜!
いつもご視聴、コメントありがとうございます
速い(早い)優等列車に乗らずに、敢えて旧型に乗ってみたくなることってありましたよね。
懐かしいです。高校の通学で利用していました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
(元)地元の方に懐かしんでいただけたなら、当方としても嬉しい限りです。
大変貴重な映像です
私はこの西鉄200形は
1988年夏に1回乗った
だけでありましたが当時の
乗り心地は今でも忘れては
おりません
往年の茶色塗装はもとより
走行音が路面電車に似ており
西鉄大牟田線(現天神大牟田線)
に路面電車が生き残っている
錯覚を感じているようにも
思われます(支線である甘木線
がもともと軌道線であった
名残でもあります)
また非冷房車だったため時折
踏切警報音が車内に入ってきて
これもまた昭和時代の特色に
つきない次第でもありました
ここ30年余りに600形そして
7000形と世代交代はありました
が西鉄ファンの間ではこの200
形の思い出は永遠に残る西鉄の
名車の一つに数えられるもので
あります
貴重な昭和時代の映像誠に
ありがとうございました
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
ほぼ同じ頃に乗られたのですね。私も乗車したのは、この撮影時の2日間だけでしたが、200形はいろいろな面で、大変印象に残る車輛でした。特にクラシカルな内装ながら、3~4連の車輛間を通り抜けできるところが感動モノでしたね。200形の動画は今のところ、もう1本アップておりますので、もしまだでしたら御覧ください。↓
ruclips.net/video/tU8Sn4Gc-Vk/видео.html
33年前大城駅から天神まで、よく利用してました、懐かしいですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
(元)地元の方に懐かしんでいただけたなら、当方も嬉しいです。
タマゴ電車とも言ってましたね!また、二種類あったような気がするのですが、思い過ごしかな?そう言えば窓のカーテンが木で作られてましたよね!カーブが多い甘木線は小さい車両でないと走れないから、このタマゴ電車が大活躍!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
タマゴ電車と呼ばれていたのは知りませんでした。資料によると「丸い」車輛は一種類だったようですが、同系列で「丸くない」のも一部(1両?)いたようです。
ちなみに昔は坂が登れないので電車を押す係の人がいたと聞いた事があります!
懐かしいです。👋
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
懐かしんでいただけたなら、こちらも嬉しいです。
当時、朝に花畑駅終点ではなく大善寺まで行くレアな200形に通学で乗ってました。あれが約40年前ぐらい懐かしい時代の電車です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
200形で通学されていたのですね。車体が小さいので、朝のラッシュ時はさぞや車内が混んだでしょうね。
昔の甘木線といえば200形の専業線区で、これは当時、まだ甘木線の路盤が弱く、現在のように大牟田線車両が入れなかったのが原因とされています。まあ、これが、最後まで木造ニス塗りの内装の電車が大牟田線でも乗れたということに繋がった訳ですが。江ノ電600形共々、真の意味でのレトロ車でしたね。
ちなみにですが、この200形の自重は13tほどであったため、江ノ電同様、路面電車並みの規格で、昔は大牟田線の高速運用に充当されていたようです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
仰るように、この200形は軽量化に留意された車両で、たしか当時の気動車の車体構造に準じて製造されたという内容をどこかで読んだことがあります。
実に可愛い電車ですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
大正から昭和初期にかけて、半円形の前頭部が流行したようですが、この電車はその中でも特に小型の部類だったと思います。
はじめまして
86年まで久留米まで通っていたので何度も見たこと有りました。
乗れずじまいでしたがw
今有れば乗ってみたい車両です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
たとえ気になっていたとしても、なまじ地元だと、いつでも乗れると思いそのまま乗れずじまいになってしまうことってありますよね。
丸い構造に正面五枚窓、小型な車体、名鉄のモ510によく似てるとは思ってました。実車の映像は初見ですが、貫通構造と全て木造なことに驚きました。比べて510形は、大正製ながら床など鋼体化され印象が異なります。古典的な丸型車体のわりに昭和16年製とあり、旧型の部類ではそんな古くないことにも驚きました。ペットライトだけ近代的なところがアンバランスでおもしろいです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
基本名鉄モ510, 520に似ていますが、西鉄200形が異なるところは、仰った点以外に、走りの軽快さがあるかと思います。名鉄モ510も揖斐線の直線部などでスピードが乗れば結構飛ばしていましたが、加速性能では西鉄200形の方が上回っていた気がします。1500V車で軽量車体であったことが関係しているのでしょう。
この200形は600形に置き換えられ、600形は7000、7050形に置き換えられ…
と新たな車両が出てきますね…
学校前が無いのが残念
祖父母の家の前通ってました
当時小学生、撮影者様と同じ場所に陣取ってました
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
映像が抜けていて申し訳ありません。今思えば、前面展望は全部撮影しておけよ、という感じですが、当時は記録用ビデオテープが高く、更にバッテリーの保ちも悪く、要所要所の撮影とせざるを得なかったのです・・・
今度は100形も観てみたい
ご視聴、コメントありがとうございます。
西鉄100形というのは、半鋼製車モ100形のことでしょうか? 私も見てみたかったですが、こちらは、私が訪問した '87年よりもはるか以前に廃車になっております。
現在、西鉄甘木線で運行してる7050形電車🚃の一部は貝塚線で運行してる600形電車🚃の置き換え来年度貝塚線に転属する予定だよ。
西鉄200系乗ってみたかったです。この系列は戦争中に米軍機の機銃掃射の犠牲になった車両もあり、正に西鉄電車に於ける生き証人の様な存在だったのでしょう。
ちなみに甘木線は現在の車両は2両編成が最長の様ですが、やはり宮の陣駅付近の急カーブが原因なのでしょうか?因みに200系は13mそこそこだったから3~4両で運転出来たのでしょうか?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
戦時中にそんなショッキングなことがあったとは知りませんでした。200形からの置き換え車輛が2両で済んでいるというのは、輸送容量がそれで足りているのか、乗客が減ったためなのか…、そんなところではないかと想像します。間違っているかもしれませんが。
@@昭和電車チャンネル 様、返信有難うございました。🙇
米軍機の機銃掃射は長崎に原爆が投下された前日の昭和20年8月8日だったと思います。現場は筑紫駅でかなりの数の死傷者が出たと聞いております。
話は変わりますが、チクゴキッチンはまだ甘木線に入線事例がないので、利用客数が少ないのもあるかもしれませんが、現在の西鉄電車は19m強の車両ばかりなので、元々軌道線からスタートしたカーブの多い甘木線では三両編成は無理なのかなぁ?と思っているだけなので...🙇
これ木製の車両ですか?
こんな車輌が少し前までは走っていたんですね…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
内装は木製だったようですね。これの3連、4連は、なかなか壮観でした。
色は違うけど、名鉄の谷汲線と揖斐線を走ってた車両に似てないか!?😲
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
ぱっと見、たしかに名鉄のモ510形、520形に似てますね。大正末~昭和初期にかけて、大手私鉄電車から国鉄の気動車に至るまで、半円形の頭部(運転席側)に4~5枚の窓を持つ車体が大流行し、名鉄の車輛も、この西鉄の車輛も、その時代の貴重な生き残りでした。
西鉄の塗装はやっぱこの色を守って欲しかったなぁ。正直言ってアイスブルーは昔から嫌いなんですよ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
同感です! 西鉄に限らず、昭和30年代前後に全国で見られたツートンカラーの塗分けは、配色的にも美しく厭きのこない素晴らしいものだったと思います。